隣のアオシバ現象「ずるい人なんていない」と思って生きる幸せ。報酬ゼロでも3年頑張れますか?

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■人じゃなくてコンテンツ?著名人って本当に得してるの?

講演させていただく機会があります。ある時気がついたんですけど「人数や規模によって、人が講演者をとらえる目は変わってくる」ってこと。10人~20人までのじっくりとしたお話会の場合は、かなり身近なゼミ感覚で、それぞれの方の質問を受け答えし、ちゃんと会話する事が出来る。

50人までの授業や講演は、まだ一人ひとりに語りかけられる雰囲気が共有しやすいし、講演後もそれぞれあいさつをしてくれたり、個別にお話もできる。

これが100人以上~となると、もはやテレビっぽくなります。双方向になりにくい。「みてる側と、みられている側」「聞く人と、話す人」にくっきり立場が分かれちゃう感じがします。工夫はするんですがどうしても難しい部分がある。終わった後、何が何でも話したい!ていうくらい興味のある人は寄ってきてくれるけれど、ほとんどの人は人波のように流れていく。

 

■大きな負の部分も受け入れてないと出来ないこと

挨拶さえないこともあるし、物みたいに扱われるときもあるのが、この規模になったときの特徴。正直寂しい部分はあります。沢山の人に届くっていう意味では大人数はいいのかもしれないけど、反応が分かりにくい。このように、人じゃなくて「コンテンツ」としてとらえられ「キャラ」が一人歩きするようになる「規模」っていうものがある。

私なんかの比ではなく、いつもこの目にさらされることを引き受け、それでも自分なりの道を歩いている著名人たちは「ホントにすごいな~」って思うようになりました。芸能人でも著名人でも、本当はひとりの生身の人間。「著名人って得してるとか、有名だからいいよね」という目線でみられることも多いですが、実際はそれほど得なことばっかりじゃない。大きな負の部分も受け入れてないと出来ない仕事だと感じます。

 

■「隣の芝は青い=アオシバ現象」光の部分しか見てないと、本当に大切な「影のプロセス」が見えなくなる

世の中にはものすごく有名な方や業績をあげているスーパーヒーローのよう方がいます。その方たちの「光の部分」しかみんな普段みることはないから、羨望されたり嫉妬が生まれる。まあ、これは著名人に限らず、普段から接してる人レベルでもあることだと思います。隣の芝は果てしなく青く見えるものですよね。だけど、その成功しているように見える人が「影で背負って引き受けていること」「普通の人にはできない努力や覚悟を、いっぱいいっぱいやった結果、その位置にいる」こと。それを汲める人はどれだけいるんだろう?と。

友人の中には著名人の方もいて、彼らと触れ合う中でいつも感じるのは「普通じゃありえないくらい、何かをやりきってる人」がそのレベルになる、ということです。それだけの行動をしているからこそ、豊かさを享受し、光りを発している。それは当たり前のことであり、全くずるくなく、かなりの孤独を超えていないとできないことです。

 

■読者ゼロ、報酬ゼロで3年頑張れる?その覚悟って、意外とすごいよ。

例えばブログ一つでもそうで、3年くらい無給でやるくらいの覚悟でやらないと、その後の実りは得られない。これ、すでに結果を出してる人はさらっと言っちゃってますけど、実際やってみると、かなり大変なことだなと分かります。すぐには何の報酬もなくても、地味に書き続け、工夫して改善を続ける。

読者ゼロ、報酬ゼロから、誰が読んでくれているかわからなくても、誹謗中傷が飛んできても、コツコツとやり続ける。どんなにやる気が出ないときでも、辛いときでも、毎日1~10記事描き続ける。それをやり続けた人だけが、数年後に残っていて実りを得ることができる。「ラクして儲ける」というイメージがあるかもしれませんが、何人かしか残れないくらいの、アスリート級の世界。

 

■「ずるい人なんていない」と思って生きることの幸せ

目に見えない泥臭いプロセスによってそこにいる著名人。「人にどう思われるだろう?」「こんなことに何年も時間とエネルギーを投資して大丈夫なのだろうか?」「家族や社員を食わせていかなければいけない・・・」色々なことを覚悟して、抱えて、リスクもしょって、それでもちゃんと自分が進む方向を選び、頑張ってる。

大きな会社がバックについてるわけでもなく、自分ひとりで頑張るってかなりのことですよ。誰かがフォローしてくれるわけでもない、出た結果はぜんぶ自分の責任。時には身がちぎれるようなことだってありますが、良いも悪いもすべて引き受けて進んでる人はすごい。「実り」だけに注目するんじゃなくて、こういう「プロセス」や、引き受けてる「リスクや責任」にも注目したほうがいい。

■羨望しないのは、自分のパフォーマンスを上げるためでもある

私は、基本「ずるい人なんてこの世にはいない」と思うようにしています。これは別に事実ではなく「心構えとして」でいいんです。時々は、ふと「ずるいな~」という思いが巡っても置いておけばいい。ただ、その感情に飲み込まれないことが大事。たとえ「ずるい人」がどこかにいたとしても、そう思わずに自分は自分で努力しているほうが、精神的に幸せだから。「いいな、うらやましいな、この人だけずるいな」と思ったところで、自分が辛くなるだけだし、その人にも失礼だし、パフォーマンスが落ちていいことが何もない。

しかも「結果」だけじゃなくて、ちゃんと「プロセスを見抜く力」をもてると、自分もその方法を活用できるのだから結果も出やすいです。これは、冷静に人を観察できないとわからないこと。ヘンなレッテルを貼らない、感情移入して見ないことによって冷静さがやって来る。どうせ生きるなら、覚悟を持ってぶつかっていきたい。そして、そういう人達のバックグラウンドもちゃんと汲める人間になりたい。そう思う今日この頃です。