「あいつはこの業界を降りた」に見えて「実は業界の寿命を延ばし可能性を広げてる」本質×翻訳×表現で「半歩先の仕事を作る」

看板ばかり見ていると、その人が何をしているのかつかめなくなる時代


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先日、たまたま珍しくテレビを見ていたら「訪問美容室」についてのドキュメントをしていた。
若手の男性二人が起業して3年。もともとは、青山の美容室の一線で、若者向けの流行を作り活躍していた美容師さん。それを辞めて、今は高齢者向けの訪問美容室をしている。

最先端の美容室で働いていた頃は「自分でも輝いていた時期」だったが同時に「このままだと自分の暮らしはどうなるんだろう・・・」と感じて辞めた。朝早くから夜遅くまで働き詰め。昼食は5秒で食べないといけない忙しさ、友達と飲みに行くことさえできなかった。もし家庭を持っても子供をみることは難しいだろう。

今は、自分のペースで仕事を組めるため、朝~夕方の5時半までには仕事が終わり家にも帰られる。友達と会うこともできるし、実家にも顔を出すことが出来る。月収は今のところ少しだけ減のようだけど、おそらくこれから高齢化社会が加速するためもっと稼いでいけるだろうなあと思った。また、圧倒的に以前よりも生活の質が上がっている印象を受けた。

■従来との違い、業界の人ほど分からないこと

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彼が訪問美容室を始めようと思ったきっかけは、自分を親代わりに育ててくれたお祖父さんが高齢になった時。美容室に行くことが出来なくなり、初めてお祖父さんの髪を自宅で切ってあげた。そうしたらお祖父さんはすごく喜んで、はじけるような笑顔を見せた。

彼の訪問美容室では、美容室の「おしゃれな空間」も訪問先の老人ホームなどにセッティングして行う。今までは「安くて早い」というコンセプトしかなかった訪問カット事業を「少し高いけどおしゃれで、人の心を満たす」訪問美容室に変化させた。おしゃれに気を使うおばあさんが、出来上がった髪型を見てすごく嬉しそうな顔をしたり、いい意味で女のプライドをたたえた顔に変化したり、あるいは喜んで涙を流しておられる姿が印象的だった。

一方で、若者相手の最先端の美容室で働いている美容師業界の人には、時々「やっぱり若者相手じゃないと、髪を切るのは面白くないんじゃない?」とか「あいつは業界から降りたんだね」的なことを言われることもあり、そんな時彼は「そういうことじゃないんだけどな」と違和感を覚えているようだった。

■中心になる本質をおさえて広い分野に翻訳していける力

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私はそれを見て思った。「あいつは降りた」じゃないんだよなあって。
業界の人すぎるとわからないことがある。
「美容とは」「ファッションとは」「人を喜ばせること」とは何なのか?
彼はその「美容」の本質的なところを見ているからこそ、
美容師という技術を持って新しい分野に飛び出るのだ。

■その仕事を愛し、やり続けていきたいからこそ。
その業界にいるけれど、その業界を超えた人が次を作る。

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今までの業界のスタイルと言うのは、今までの先人の知恵がつまったもの。
もちろんそこにはすばらしさがあるし、ベースが培える。
形の中で極めることの凄さもあるし、トップ3%に入れば一流として生きていける。

ただ、現代は変化がしょっちゅう起こる。どんな分野であれロボットに代用されることが増えてきたし、今まで専門技術だったものが取って代わられることもある。昨日までは職業になっていたものが「明日からはもういらない」ということにもなっていく。

だからこそ、本質は押さえるが形にはこだわらず柔軟に
「次の時代を半歩先につくりながら、今現在の活動をしていくこと」が必要だと思う。

頭打ちになって経営的に立ち行かなくなる最先端の美容室も多い中、
彼の訪問美容室に興味を持ち、教えを乞いにくる若手オーナーもいる。
今までは「そこに美容師の仕事はない」と認識されていた場所に、その仕事ができる。実際彼の訪問美容室はこれから高齢化社会が進むにつれ、業績は上がっていくだろう。

このように「業界を降りた」と見える行動が、実はその業界の幅を新しい分野に広げ、新しい働き方を開拓し、先細りだったものの寿命をグンと伸ばしている場合もあるのだ。

これは、違う業界でもそうだと思う。その仕事を自分の人生の中でやり続けていきたいからこそ、こういうスタイルをとっていくともいえる。
つまり、その業界にいるけれど、その業界を超えた行動が出来る人が次を作る。

■表現できることと、表現すべきものの本質を把握することは別物である。by藤原明氏


最近読んだアサダワタルさんの本「コミュニティ難民」の中で、藤原明さんの言葉が響いた。 

アサダワタル
木楽舎
2014-12-01



彼は銀行員でありながら「金融」という本質をもとに、アーティストやラジオ局などと仕事をし、企業、大学、地域、行政と連携して銀行員をはるかに越えた様々なプロジェクトを展開している。彼の言葉でしびれたのはこの一説。(以下書籍「コミュニティ難民」から引用)


「こういったお金を貸すだけでない、さまざまな分野との協働が実は”金融の本質”なんです。だからこれらはCSR活動ではなく、あくまで銀行員がなすべき”営業のど真ん中”なんですよ」

藤原さんは、これらの経験を生かして、現在、クリエイター志望者が集まる大学院大学でも教鞭をとっている。コンテンツプロダクションやビジネスプロデュースの講義を担当し、受講生に対しては「表現できることと、表現すべきものの本質を把握することは別物である」と常に伝えている。

「デザインや何かモノを作る技術を持っている人って、ある意味すぐに”表現”ができてしまうがゆめに、かえって”その段階”で終わってしまう人たちが多いんです。表現活動にとって必要なのは、いま何を表現し、それを誰にどのように伝えるべきかという、”表現すべきものの本質の把握”なのだと。優秀なクリエイターにはこの表現できる”技術”と”本質の把握力”の双方が備わっていると思うんです。」

逆に言えば、本質さえ把握しておけば、その技術の使い方は、いかにもその技術が使われそうな現場以外へも転用できるということだ。

■これからはどんな仕事にもクリエイター要素が必要に


上記の文章のように、実際仕事で面白い成果を出している人を思い浮かべてみると、まさしくその優秀なクリエイター要素のある人が思い当たる。
例えば、田舎にも「もう収益がとれない」「先細り」と言われる農業という業界に、新規就農し成功している人がいる。彼らには「IT系の企業をやめて農家になった」など別分野からやってきた人が多い。農繁期は農業で稼いで、農閑期は農業界になくて不便だと思った農業用のシステムを開発する。自然に必要だと思うことをやっていったらそうなった感じで「半農半プログラマー」にいたってらっしゃる方も。これは、自分の能力を最大限に使える形でありながら、収益的にも最大化していける形に感じる。

つまり彼らは、従来の農業にとらわれず、自分ができることと、そのシゴトの本質を見極め、どんな分野にも置き換えていく力にたけている。
逆に言えば、もう頭打ちと言われている仕事であっても、新しいやり方に翻訳することができれば、今までの形とは違えども本質的には続けていけることができるのではないか?農業、本屋、アート、銀行、建築・・・どんな仕事にもそこに希望があると思う。

■最後にまとめ

・今までの形や看板ににとらわれず、本質を把握して分野を超えて翻訳すること。
・今現在を一生懸命に歩みながら、半歩先も同時に出来るような仕事の仕方をすること。

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■私、ヒビノケイコの著書。高知の山奥で暮らしながら新しい時代のあり方を創造中。

山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]


■私がオーナーをしている、自然派菓子工房「ぽっちり堂」
山の素材で手作りした優しいお菓子ギフト。