「違和感は失くさず超えればいい」どんなことも苦しみの材料にせず、建設的に発展させる仕事人/アサダワタル×川浪千鶴×ヒビノケイコの須崎講座レポ

この間、日常編集家のアサダワタルさん、高知県立美術館の川浪千鶴さんと私のトークセッションがあった。須崎散歩の情景と一緒に、そのとき感じたことを描いていこうと思います。

■アサダワタルさんの第一印象

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早朝、今回の企画をたてたプロデューサーの濱田さんの車で、アサダさんを高知駅に迎えに行き、近くのカフェでコーヒーを飲んだ。アサダさんは、はじめて会ったのだけどまるで久々に会った親戚みたいな感覚をおぼえた。家庭の話、大学の話、アートの話、コミュニティの話、とにかくどんな話もすらりと話せる。
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彼は、ミュージシャンであり、芸大の講師であり、アーティストであり、執筆者であり、NPOの人であり・・・と多種多様な面を一つの体に含む人。
あとで彼の講演を聞いていたとき驚いたのは、事例を説明しているくせに、それが詩を読むポエトリーリーディングのように聞こえたことである。音楽、詩、アート、講座、全てが混じっている生態系。

つまり、「生きてること=表現者」であり、形にはまらないのが自然な人。専門分野のコミュニティにはいても、ぴっしりと属さない人。だからこそ、色々な専門分野を飛び越えてつなげていける。そういう翻訳者でもあるんだと思った。(関連記事

■もう1人のスピーカー、凄腕学芸員の川浪さん。

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川浪さんは、福岡県立美術館で凄腕学芸員として30年のキャリアを築かれた方。自らを「町に育てられた学芸員」と呼ぶ。そんな彼女が数年前、高知県立美術館にスカウトされ、今までのキャリアを置いて高知へとやってきた。

「そんなこと、この年でする人なんていないですよ。しかも、単身赴任で」
それでも高知にきたわけは「ずっと頑張ってきて、なんだか万能感が出だしたんです。それで、これじゃいけないと思って」ということ。

高知の美術館だからこその課題はいくつもあり、それは難しいこともあるけれど、向き合っていこうと決めた。いくつになっても挑戦をやめない方なのだと思った。

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■「これでアガリ」感覚がない人の魅力

川浪さんや、アサダさんに共通して言えるのは、「この職に就いたからアガリ」と思う感覚がないということ。そもそもの目標が「キャリアをつんで認められる立場を作ること」とか「お金を安定的にもらえること」にない。

例えば、川浪さんは公務員でキャリアもあり、人から見て「もうそこまでいったんだからいいじゃない」と思われる立場であったとしても、それを良しとしない人だ。あくまでも、アートと人間の本質をみつめ、自分ができることをしていく挑戦者である。こういう大人に触れることは、すごく大事だと思う。

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それには、ある種の孤独がつきもので、どこかに「必ず自分なりの答えがある」という信頼がいる。「誰かの出してくれる答え」に添えば、どこかラクになるところもあるけれど、そもそもそれは誰かが一生懸命出した答えであって、自分のものではないことを知っている。答えはだれかがくれるものではない。 (関連記事「向こうから差し出されない、何もないから創りたくなる」余白から流れ込む風、余白が生む独創性。

■「必ず自分なりの答えがある」という信頼。孤独を内包してすすむ

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自分なりの答えを見つけていくためには、いつもある種の粘り強さがいる。
また、どこのコミュニティに参加はしたとしてもぴっしりとはまらない、同調しないということは、孤独感、疎外感を内包しながら進むことが必要になる。


川浪さんは、よく高知の方には「慣れましたか?」ときかれるけれど、「高
知は好きだし、人も良いし、馴染んだとは言えるけれど、慣れたとは言えない」と仰っていた。どこかに「違和感」がずっとあるんです。と。

■いつまでたってもある「違和感」はなくさないといけないもの?


私はそれを聞いて「違和感って、なくさなくてもいいんじゃないですか?」と言った。
私も高知へ移住して今年で9年目になる。もちろん高知が好きだし、山も人も好き。だけど、やっぱりどこかにある種の違和感はあるままだ。

ずっとずっと「違和感をなくさないと」と思っていた。「いつかなくなるはず」と信じてた。

だけど、5年くらいたってから「ああ、もしかして違和感っていつまでたってもあるのかもしれないな」と思うようになった。

そして、むしろ「違和感はあったままでもいいのかもしれない」と思うようになった。
これは大きな発見だった。


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↑角がない家

■「違和感は次の時代の予兆を知らせてくれるヒント」

違和感がある時、人は「違和感をなくそう」「捨てよう」としがちだ。
そして相手やそのコミュニティに「あわせよう」とする。
もしくは、違和感を持った相手がいる場合「非難したり」「攻撃したり」「被害者」になったりする場合もある。

だけど、こういう違和感の発展方法は、自分にも相手にも苦しみを生みだしてしまう。
けれど、誰かのせいにして済む話ではないし、今のあり方を作った誰かは誰かでちゃんと答えを出してきたんだから、それに対して敬意も必要だ。


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ではどうしたらいいか?アサダさんや川浪さんのように「違和感を持ちながら、それを次の時代のヒントにし、超えていく方法を作り出す」「建設的に発展させる」のはどうだろう。

彼らは「違和感」があったとして、常にそこから「で、どうするか?」へ活用していっている。違和感というヒントを与えてもらったからこそ「ここから、何が作り出せるか?」違和感は、そういう「素材」にもなりえるものなのである。

違和感は、予兆の胎動でもあると感じる。いつも、そこから「なんか、もぞもぞする」なんか、違う、ではそれは何なのか?じゃあ、どうしたらいいと思うのか?何がしっくりくるのか?それをヒントにすると、次に自分が求めているものが創りやすい。自分が悩んだり、違和感を感じていることは、世界にもそう感じているひとがいるということ。だから、すごく使える「創造のヒント」なのだ。

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■コミュニティをつなげる人は縦軸(専門性)×横軸(他分野)が翻訳できる。仲良くなっても、慣れ合わないこと。

専門、業界、地域、仕事、「コミュニティ」というのは閉じがちだ。そして、中だけでぐるぐる回した結果、頭打ちになる。アートの世界もそうで、私はそんな閉塞感に対する違和感がすごかったからこそ、「日常とアートをつなげるには?」「表現と生活をつなげるためには?」「社会とアートをつなげるには?」どうしたらいいか?ずっと考えて自分なりに行動してきた。
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大学生のころから田舎の寺に移り住み、そこで自給的な暮らしをしながらモノツクリをしていたのはそのためだ。その後のカフェも、世界観と日常性の提示だったし、今は「土の上で生きてネットで発信する」作家ブロガーになって活動しているのもそれを体現するためだ。人生は、常に実験だ。

こんな私は、大学の時完全に「芸大コミュニティから浮いた変なやつ」だったが、今では芸大に毎年「キャリア授業の講師」として呼ばれる事態が起こっている(笑)普通の人の日常や地域の社会課題×アート、クリエイトの本質を結びつけて、生かしていく生き方。仕事にしていくこと。そういうことを話して欲しいと言われる。
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アサダさんもずっぽりとアートのコミュニティに属さず、だけどアートや福祉、様々な分野やコミュニティをつなげ、コツコツとアカデミックに勉強されてきたからこそ、芸大の講師としてまねかれているのだと思う。

私にとっては、アサダさんのような方が講師になる時代が来た時点で、自分が学生の時に感じたものすごい違和感への救いのようで、「ああ、今の芸大生良かったね」って感じである。彼のような内と外をつなげる境界人が必要なのだ。

彼もそうだけど、こういう立場にいる方とい
うのは、人として素敵な人、魅力的な人が多い。
そして、人と仲良くはなるけど、慣れ合わない強さがある。

他分野を行き来し翻訳し、専門分野をオープンにひらき、社会に生かしていく人。
生きること事態がアートになっている人。
そういう存在が今、限界を突破するためには必要なんだろうなあと思う。
(関連記事
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■違和感=「プレーンな素材」ととらえて活用する

私の尊敬する友人でタイの原始仏教僧侶・スカトー寺副住職のプラユキナラテボーさんに、いつも「日常で悟ることってできますか?」と聞くと「もちろん!」と応えてくれる。彼は、仏教マニアでも何でもないフツーな私でもわかる言葉で、日常に生かせる仏教の活用法を教えてくれる「仏教×日常」の翻訳者のような存在。

そんなプラユキさんがよく仰る言葉がある。
「三相」の活用で、
・無常だから「大丈夫」
・苦があるから生きている実感が持て、智慧や慈悲を育める
・無我だから「誰にでもなれる」

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やはり暗く、ウツっぽくなっちゃう人も多いこのご時世、「白黒」ではなくて「カラフル」な「諸行無常」や「仏教」もあっていいですよね!なんて話をするのだけど、本当にそのとおりで、違和感であれ、何であれ「プレーンな素材」としてみれば「活用するもと」にできる。
そんな力が人間のクリエイティビティには潜んでいるんだと思う。


■まとめ「で、どうするか?」

違和感はなくさなくてもいい、人への攻撃の材料にしなくてもいい。
いつも、自分とむきあい「で、どうするか?」
そこから新たな動きが始まる。

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■補足

一応補足しておくけれど、違和感がものすご~く強い場合(病気になるくらい耐え忍ぶとか)明らかに自分の居場所でないところを活動の拠点にする必要はない。

私があるとき気がついたのは、「違和感は高知だけでなくて、多かれ少なかれ、生まれ育った大阪も、京都にも違和感ってあったぞ」ということ。

土地でも、学校でも、職場でも、何かのコミュニティでも、「ここをベースにするのは、明らかに違う。自分も周りの人も苦しむ」と思った場合は、場所を変えるのが大事な時期もある。
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それも、違和感がもたらしてくれる大事な人生の転換メッセージ。

それでも「ここに住みたい」「ここで挑戦したい」と思える何かがある、そういう場合は違和感から汲み取った何かを糧に、頑張ってみたらいい。
そしていつも、自分の居場所は自分で作っていく、その自覚を持って進んでいけばいいと思う。

アサダワタル
木楽舎
2014-12-01


苦しまなくて、いいんだよ。

プラユキ・ナラテボー

PHP研究所
2011-03-23



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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ 山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]

■私がオーナーをしている、自然派菓子工房「ぽっちり堂」
山の素材で手作りした優しいお菓子ギフト。