怖い。でもいつか、その領域までいきたい。
それにしては私は未熟だなあ・・
モヤモヤ思っているときには、ベットのそばにある岡本太郎の本をぱっと開いてみる。
そしたら、こんな言葉があった。
■未熟を決意することは、素晴らしいこと
自分は未熟だといって悩んだり、非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、よくない。
それは人間というものの考えをまちがっている。というのは人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。
ぼくにいわせれば、弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性をもっている。
熟したものは逆に無抵抗なものだ。そこへいくと、未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければならないが、それだけに闘う力というものをもっている。
人間はマイナス面のほうも多くもっている。マイナスの面があればあるほど逆にファイトを燃やして、目の前の壁と、面と向かって対決するわけだ。
自分が未熟だからと消極的になってしまったら、未熟である意味がなくなってしまう。そういうのは未熟のまま、だらしなく熟したことになってしまうのだ。
未熟を決意するのは、素晴らしいことだ。これはいろいろなケースにあてはめられる。たとえば空に翔ぶ鳥をみて、自分は鳥のように自由に空は翔べないと思う。また花盛りの木をみても、自分はあの鼻のようにまだひらいていないと思う。そこから新たなファイトが起こってくる。
(出典 自分の中に毒を持て)
■成長すればするほど、上には上があることが見えるから
この文章を読んで「未熟を決意する」ってすごい言葉だなと思った。本当にそうだなって。人は成長すればするほど、上には上があり、奥には奥の景色があることが見えてくるのかもしれない。
それならもう、「自分は未熟だ」といい意味で諦めて、自分は自分の土俵で前に進んでいこう。バネになる力、闘える力、切り開く力に変えていこう。未熟さにやられるんじゃなくて、未熟さを使ってやればいい。
■「集団に馴染むために個性を殺すな。1人ひとりが本気で考え、自分の思いを爆発させなければ、世界はつまらなくなる」
迷ったとき、導いてくれるのは、ある人にとってはカントやヘーゲル、私にとっては岡本太郎やイサムノグチだったりするんだな。死んだ後も、こうやって何かを遺し、誰かの心を支え新しい動きのモトになってくれる存在は、本当にありがたい。こういうのを偉人っていうんだろうな。あらためて、この本はおすすめです。
著者が1993年に出した文庫本の新装版。亡くなる3年前に書き残した。今を生きる人々を叱咤激励している。自分の人生を振り返って、この世に生まれ出た瞬間から(覚えているわけではないだろうが)、小学校時代、パリ留学時代、今日に至るまでを「決められた枠にはまらずに、自分の思いを爆発させ続けてきた連続だ」と言う。
著者の主張は明快だ。「集団に馴染むために個性を殺すな。1人ひとりが本気で考え、自分の思いを爆発させなければ、世界はつまらなくなる」。
何かを生み出すためには、自分を追い込むことが必要だ、という言葉は芸術家として生き抜いた著者の叫びだ。数々の前衛的な芸術作品に込められた熱く厳しいメッセージが伝わってきて、勇気づけられる。
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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]
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