最近、わたしの文章や表現に関心を持っていただいた方から、お問い合わせ頂くことも増えてきました。かなり独特な考え方ですが、今日はそのひとつをご紹介。
■世界との触れ合いに自覚的になる。
毎日やりすごさないことから表現ははじまる。
見聞きしたこと・体験したことを表現する際、大事にしたいのは「なるべく自分が思ったことに近い言葉を書く」ということ。
そのために一番大事なのは「毎日をやりすごさないこと」だと思っています。
例えば、今日散歩したことでも、お料理したことでもいい。仕事であったこと、映画を見て感じたことでもいい。いいことでも、悪いことでも、どんなことにも感じた何かがある。
1、聞く、見る、体験していることを自覚的に感じていく。
2、あとで反芻し、断片でもいいので、感じたことをメモに書き出す。
ある日のメモ↑文字とイラスト、マップのように思うまま描いていきます。
3、このとき、その物事と触れ合ったときの身体と心の動きを思い出してみるといい。
(音、におい、みため、味、触感、感情の動きなど)
4、書き出しながら、自分が思ったことに近い言葉をみつけていく。
わたしのメモ、ノート、スケッチブック、4コマメモ。携帯にもメモ。とにかく何か浮かんだら、脈略はなくてもいいので書き留めておくことが大事。
描くことで脳回路を一度通り、記憶をたどる糸のような役割や、アイデアのもとに。ふとした時に、しっくりした言葉が思いつきやすくなる。
自分が思ったことに近い言葉っていうのは、一見やわらかくて、あまり強くないように思えます。センセーショナルでもないし、極端でもない。
だけど、わたしが毎日ブログを書き、読者さんの反応をみていて思うのは、意外とやわらかくても、まっすぐ人に届く言葉はあるということ。びっくりするほど、じわじわ系の表現が人気記事になることがよくあるんですよ。
以前本を描く際、編集者さんに各章のカテゴリタイトルについて相談したことがあります。わたしは「ちょっと極端で強いことばの方がいいんだよね」と思って、世間的にウケそうと思う案を考えていったんです。
でも、それを見て編集者さんはこうおっしゃいました。
「これさ、ケイコさんの言葉って感じがしないよ。ビジネスの企画書っぽい。内容はあなたらしいんだから、なんかもっと、自分の中から素直に出てきた言葉を書いてみたらどうかな?」
それで後日、自分が思ってることを素直にほりさげ、体現するような案をもう一度持っていきました。すると「これだよ、これ。このほうが断然面白そう!」と。
わたしは「でも、一般的には全然ウケないんじゃないですか?フックも弱いし、強い言葉がどこにもないんですけど、大丈夫でしょうか・・・?」とたずねました。
すると、編集者さんは「最初から外側の人を意識して書く方法もあるけど、自分の中から出てきた言葉の強さってものもあるんだよ。君はそっちだから」と言って下さったんです。
この体験は、わたしにすごいインパクトを与えてくれました。(もちろん、これには主観と客観のバランスがとれているか?ということが重要になってくるんですが、話すと長くなるので今度書きます。)
■今ここの価値を見出し、じぶんのものさしを持って語る。
全国的にも有名な高知のデザイナー梅原真さん。哲学をかたちにし、ムーブメントを起こす梅原さんの活動はすごく尊敬しています。この本を読んでいて、共通点を感じた文章が。彼が高知の明神水産と組んで、伝説的コピー「漁師が釣って、漁師が焼いた」+パッケージをデザインし、鰹のタタキを8年で20億円売り上げたときの話。
鰹の一本釣りの明神水産から「鰹が売れない。船がつぶれる。なんとかしてくれ」と相談が持ち込まれたとき、僕が注目したのは、土佐の高知にしかない価値だった。
「漁師が釣って、漁師が焼いた」ということばには、漁師が釣った、魚体を確認した、これはうまそうだと捌いて、藁焼きにした、その一連の風景が思い浮かぶ。藁の焼ける匂いがし、高知にしかできない鰹のタタキが差し出される。そこに絶対価値がある。
「漁師が釣って、漁師が焼いた」というその二行で、買い手に商品の本質、価値をよく伝えるメッセージができたという意味である」
「つまり客観的なものさしに翻弄されず、自分がいる今、ここの絶対価値を見つけることこそがジブンのものさしを持つことになる。」
この「じぶんのものさしを持って語る」ということが、意外とみんな怖いんじゃないかと思うんです。自分の言葉で語るということは、模範解答がない。責任もとらないといけない。だけど、これがあるかないかで伝わり方は全く違うんです。だから勇気を持って、見つけにいくのが大事。
■自分の言葉は、必ず自分の中にあると信じる。
こういう話をしていると「じぶんの言葉が、見つからない」「わたしには語れるものなんてないです」とおっしゃる方も多いです。
でも、もっと自分を信頼してほしいと思います。物事に出会った時、起こる感覚は誰しもあるから。見つけていけば、必ずその人の中にその人の言葉があり、本1冊くらいかける素材が、誰の人生にも眠ってると思います。これは、地域も同じこと。「うちの地域にはなんにもない」はありえません。
自覚的か、自覚的でないか。見つけるか、見つけないか。表現化するか、しないか。
生きているということは、世界と触れ合うこと。
自分の中にもぐって、まだ輪郭のないものを丁寧にすくいとり、形をみつけていく。
そのときの言葉は、どれも強い光を発している唯一無二の言葉なのです。
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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]
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