「移住希望者の空き家待ち問題」空き家はあるのに空き家不足「のっとられる?」イメージには「誰が住みたいと言ってるか」が突破口


「移住希望者の空き家待ち問題」空き家はあるけど、空き家不足。

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この間、移住支援NPOのトップが集まるイベントに参加してきました。面白かったお話のひとつが、空き家問題のこと。例えば、わたしの住む高知県嶺北地域では、移住支援NPO「れいほく田舎暮らしネットワーク」や行政との連携体制があり、毎年たくさんの移住者がやってきています。

 

・・・なんですが、最近はもう「空き家待ち」状態なんです。移住希望の方の需要と空き家の供給が合ってない。家さえあればすぐにでも移住してもらいたいところなんですが、物件がないと入れないので困ってます。空き家発掘は定期的にしており、地域には住んでいない空き家はいっぱいあります。だけど、貸してもらうのが難しい。

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高知県の移住支援は全国でもトップレベルですが、民間団体が牽引しているという特徴があります。それぞれのトップはみんな若くて頼もしいですよ。
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それぞれの団体の実績・データ。れいほく田舎暮らしネットワーク、パフォーマンス高し。

「のっとられるんじゃないか」というイメージ



以前、この記事にも書きましたが()田舎の場合「家=物件」という見方ではないんですよね。そもそも不動産屋さんもないし、人に貸すという文化がなかった。だから、「代々受け継いだ家を人に借す」ことに抵抗があるのは当然ですし「中に荷物がいっぱいで」「もうぼろくなってるから無理無理」という理由も多々あります。

移住支援員が空き家発掘で一軒一軒周る時には、家の修繕が補助の範囲内で出来ること、荷物の整理を移住希望者と話し合って協力して出来ること、ちゃんと契約すれば必ず返って来ること(しかも、放っておくよりもきれいになって、住むことで空気がとおり状態もよくなる)もお話しするんですが、それでもやっぱり難しい。
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どこかに「一度人に貸すとのっとられるんじゃないか」というイメージが根強く残っているようです。のっとられる確立というのは実際ほぼないに等しいので、その不安によるデメリットと具体的に人が住んで管理されるメリットとどちらをとる?とは思いますが。

年々、移住者が増え、それにともなって「貸してよかった」という家が増えるとともに、じわじわと信頼もつき、情報をもらうことは増えたようですが、まだまだ空き家不足は解消されません。

「誰が住みたいのか」を明確にすると空き家が出てくる不思議

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この話はどこの地域でも共通の悩み。「地域から、空き家をどうやって引き出すのか?」問題を移住支援団体のリーダーたちが話し合うなかで、「あ、それいいな!」と思う方法がありました。

それは、移住希望者にしばらく滞在してもらい、連れ添って地域を周るという方法。地域の人と直接話をしたり、作業したりするうちに、気に入ってもらい「ああ、この人なら」となれば話が早い。地域の人がいったんその気になると「〇〇さんという、こういう人物が家を探してるんだけど、ないか?」という話が周囲をかけめぐり「それなら貸してもいいよ」という空き家物件が出てくるとのこと。

他にも、例えば「〇〇さんという人が、4月から地域の~という会社に就職が決まっているのだけど、移住にあたって家がなくて困ってる」という具体的な話をすると、「誰が」「いつから」が明確にあるから「ああ、それならすぐに探さんとなあ。えーっと、うちのは・・あ、あそこのお家にも聞いてみるわ」となりやすい。

二段階移住もそうで、とりあえず町営住宅に入って暮らすうちに地域の人の信頼を得てゆき、そこから「この家どう?この畑使わん?」っていう話がやってくるようになる。
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つまり「誰が」が明確にあると、具体的に話が動き出すということなんですね。漠然と「移住希望者が」というのでは、ぼやっとしたつかみどころのない話で、「のっとられるイメージ」専攻になっちゃうけれど、「この人が」「〇〇さんが」となるだけで、ありありとしたリアルなイメージができるということなのかな。

親身になってくれた時の地域の方の行動力はすごくて、1軒だけ見つけるつもりが3件くらい見つかることもあり、
後々すごく助かるというお話もうかがいました。

信頼は人につくもの。「誰が」が浮き彫りになって派生するもの。

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「この人なら家を貸してもいい」
「この人と仕事がしたい」
「この人の言葉だから、ひびく」

誰が暮らすか、誰が言ったのか、誰が・・・というのはほんとうに大事なんだなと思いました。田舎の空き家問題でもそうですし、仕事でも人との関係性でもそう。同じ内容でも、「誰が」言うのか、するのか、求めるかで全く違ってくる。

これ、自分や周りで個人メディアを運営する方々を見ていても同じように感じます。「誰が」が浮き彫りになっているから派生するものがある。毎日その人が感じたことを表現しているだけで「誰が」という人物像が見えてくる。そうすると信頼が生まれる。

「あの人が紹介してた場所に行ってみよう」ということもありますし、「この人と関わりたいからイベントに出てもらおう」「この人と仕事をしたいから、あの案件を頼もう」となる。この流れは様々な分野で、今後加速するような気がしています。


「何が」も大事だけど「誰が」が大事。

人間は知識で動く部分もあるけれど、やっぱり感情や気持ちが動いたとき、大きな行動がともなうんでしょうね。だからこそ、

・「誰が」を明確にしてアプローチすること
・「誰が」が分かったときに信頼してもらえる自分になること

このふたつを大切にやっていきたいですね。

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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]


■私がオーナーをしている、自然派菓子工房「ぽっちり堂」
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