地方とクリエイターの相性がいい7つの理由「ないなら創ろう」芸大で培った楽しみながら挑戦するエネルギー

わたしは、京都精華大学の芸術学部出身で、世間一般で言えば、特に素晴らしい学歴でもない。だけれど「芸大に行って良かったな」と思うことはよくある。

地方で自分の仕事を作って生きるには、アーティスト、クリエイター的な要素のある人は向いている。なので、芸大で講座をする時には、地方でのアートを活かした生き方を紹介している。


1「普通の生き方でなくてもいい」という覚悟が早めにある

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わたしが高校生のころ、芸大に入りたいと思った時点で「まあ、一般的な就職は無理と思っておきや。それでも生きて行く覚悟があるなら、目指せばいいと思う」とアトリエの先生に言われた。(実際には、就職してる人もたくさんいる。それだけの覚悟でという意味)

芸大に進んでからも「自由に生きろ。だけど、そのぶん責任を自分でとって生きろ」とよく言われた。

 

じっくり考えてみたけれど、やっぱりその道に進みたいと思った。早い時点でさっさとその覚悟ができていたから、社会に出て人と違った生き方をし、色々大変なことがあっても「自分にとってはそれが自然なこと」と思えた。

仕事を作ることについても、クリエイトすることに変わりはなく、自然と取り組んでこれたように思える。(関連記事:「プライドは他人に対してではなく自分に対して持て」下手くそでも今日できる限りをアウトプットする理由


2、答えのない課題にとりくむことに慣れている


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芸大では、いつも答えのない課題が出される。抽象的な課題ばかり。出来上がったものが人にとって感動や良い影響を与えたり、考えさせたり、存在のエネルギーを感じさせたりするものになるかどうか?

 
正解というものがない。それでも、わたしたちは、いつも創り続ける。これには結構エネルギーがいるのだけど、繰り替えすうちに体力がついてくる。

3、問いを持って生きている


そのためには、毎日に対して「問い」を持って生きていないといけない。哲学も少しは持ち合わせていかないと、薄っぺらい表現しかできない。構想を実現化できる技法も必要。


「だったら今回はどうするか?を考えて、ものを創る」この繰り返し。大学の中だけで問いに対して解決できるものが培われるはずもなく、大学の勉強と課題をこなすことに加えて、自分でフィールドに出て、いろいろな生き方をしている人や、アーティストに会いに行った。人それぞれのアプローチで課題をとらえていく。そんな4年だった。

4、地方で役立つ、楽しみながら挑戦するエネルギー

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この姿勢は、のちのち地方で暮らすようになってからすごく役立っている。今、地方の抱える課題というのは、はっきり言って答えがない。

誰も知らない答えを見つけていくことに対して、喜びを感じる人は向いている。違ったときのリスクもしょいながらでも飛び込んでいける、挑戦的なエネルギーがいる。

そして、何度でも何度でも工夫を繰り返していける粘り強さも必要。正解ではなく、その土地、そこに住む人たち、自分、自然、すべての関わりからオリジナルなあり方を導き出していく。 だから、答えのない課題に楽しみながらぶつかっていけるクリエイターが向いている。


5、とりあえず「面白がれる」気質

クリエイターは、とりあえず「なんでも面白がれる」人が多いように感じる。なんの変哲もない毎日に対して、面白がれる視点がないとモノは作れない。だから、無理やりにでも見つけ出すくらいの目を持って毎日を歩く。あの信号機にも、あの雲にも、この人の中にも、すごく素敵な場面を発見できる。

 そのおかげで「田舎にはなんにもない」と地元の方がおっしゃっていたとしても、「わ!こんなすてきなところがある」と何かを見つけることができた。その表現が、わたしにとってのカフェであり、お菓子であり、執筆なんだと思う。人によってその表現は違うけれど、そういう視点があるとどこで暮らしてもそこまで不幸にはならない。周りの人にもいい再発見のきっかけを提供できる。

6、なんでも創れる感は、幅広い物事を同時にこなす必要がある田舎で役立つ

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 「なんでも創れる感」は生きてゆくには便利なものだ。芸大生にとって、学校のゴミ捨て場は宝の山だった(笑)よくそこに捨てられた古い畳やほうき、謎の袋、竹、やかん、金具、はっぱ、いろんなものを拾ってきては作品を作ったものだ。ゴミは、ある時はお茶室に化け、ある時はオブジェになり、これだけ光るものなんだと思った。

「これ、すごくない?」ってみんなで自慢しあう日々。捨てられたものから何かを産み出すことはフツーだった。

思ったものを創るためには、金具もペンキも、工具も使うことが必要だったし、そうやってるうちに、なんでも創れるという感覚がついていった。部屋のセルフリノベーションにしろ、おいしくて珍しい料理にしろ、うまい子が多かった。今は、それぞれ仕事という形で自分の思ったものを表現している。


田舎で暮らすには、草刈りから家や仕事作り、町つくりまで、幅広い物事を同時にこなす必要が出てくる。これに対しても、適応できる柔軟な万能感だと思う(笑)(関連記事:古民家リノベ「野生的な自分×現代的な自分」自分の暮らしは自分でデザインする方法

7、まっしろなキャンバスに絵を描きたくなるように「ないものは創りたくなる性質」

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何度か紹介しているけど、世の中には「なんにもないと不安」な人もいれば、「なんにもないから燃える」という人もいる(笑)

わたしも、逆境フェチな部分があるのだけど、これは「まっしろなキャンバスがそこに置かれていると描きたくなる性質」からきているんじゃないかと思う。あふれるほどのモノやノイズに囲まれていると、創作意欲がなくなる。

もう自分はなんにもしなくても、世の中には素晴らしいものごとがすでに用意されている。そう思ってくる。



だけど、なんにもない地平に立った時、どこかワクワクしてくる。足らないものを見つければ、じゃあ、作ろうかと思う。そう思うような人は、地方での開拓するような暮らしも向いていると思う。また、そういう姿勢が、問題解決を超えた創造的な突破口を地方につくっていく。(関連記事:そろそろ「地域課題を解決する」という思い込みから抜け出そう。妄想から始まる「世界観の表現」へ

あの言葉

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最近、ある著名な方の書籍で、わたしとの話が掲載されるとのことで確認していたら、この一文が心にのこった。
 
「素敵なところは活かす。未熟なところや必要なものは自分たちでつくればいい」


以前自分で言った言葉なのだけど、ああ、そうだなあと思った。

田舎にきて9年。いろんな時期を経て、ガンガン走る状態で何かを創りだせる時期もあれば、時にはくたびれて充電したい時期もあることはわかった。田舎だけでこもらず都会と行き来しながら、もうちょっとラクに、お互いのいいところをいかし合えばいいと感じている今。



だけど、やっぱりこの言葉に現された姿勢は大切なものだと思う。

地方とクリエイターは相性がいい。
これからも、どんな人がやってきて、どんなものごとが起こっていくのか。
それは全て形が違い、違うからこそ、面白い町が創造されていく予感がする。

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■著作エッセイ漫画
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]


■私がオーナーをしている、自然派菓子工房「ぽっちり堂」
山の素材で手作りした優しいお菓子ギフト・内祝