「何が成功で、何が幸せ?」は一人一人違う。いつしかテンプレートに侵食されてるわたしたち

 

成功の意味は一人ずつ違う

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「成功」の意味って、一人一人ほんとに違うものだなあと思う。

いろんな人たちが姿を見せてくれる。大企業や公務員で安定しているのが何よりという人。バリバリ働いて起業して何億も稼ぎ、常に上へ上へ登りたい人。田舎暮らしで自給的な暮らしをする人。

「どのスタイルが一番幸せで、成功か?」なんて誰にも決められないこと。500万より1000万、1000万より1億と数字が上がっていくことに喜びを感じる人もいれば、子育てや暮らしの内容と仕事のトータルバランスがうまくいってはじめて幸せだと感じる人もいる。

本人が幸せだったらそれが一番。ただ「自分にとって何が成功で、何が幸せなのか?」を粗くはなく繊細に問いかけること。その上で人生を運営していくことは、とても大事だと思う。

 

正しくなんてなくていいから、幸せに生きていてほしい

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20代後半のとき、ビジネスもうまくいき、お金・物質・遊び・時間的な自由を全部持っている知人が 亡くなった。もうひとつ、田舎暮らしでストイックな暮らしをはじめていた恩師も亡くなった。二人とも、自殺だった。

とても辛かった。これ以上の苦しみはないんじゃないかと思うくらいに。

二人とも、自分なりの「正しさ」を持っていて、それを社会に表明する生き方をしていた。だけど、その正しさは二人を疲弊させ、表へ見せる顔とは裏腹に、死ぬところまで追い詰めてしまった。

正直言って、わたしは「正しくなんてなくていいから、楽しそうに生きてくれていたらそれで十分だったのに」と思った。人は、成果を上げているから、正しいから、だからあなたを愛するんじゃない。ただそこにいるだけで、存在だけでも愛していたのに。

いつしかテンプレートに侵食されてるわたしたち

このことがあってから、自分が田舎で暮らすにあたっても、決して形にとらわれることはなく、自分なりに楽しく暮らそうと決めた。

ビジネスで登ること自体がだめとか、田舎暮らし自体がだめとか、公務員がだめとか、そういう話じゃない。ただ、どこかで見たことのあるテンプレートに自分を当てはめてないか?それを時々確認することはとても大事。

人は知らず知らずにメディアや大多数の他人の指標の影響を受け、自分自身がどうしたいのか?何が自分の幸せなのか?よりも、外側のよくある形を当てはめてしまう。こうすれば、成功。こうすれば、素敵。こうするのが、正解。こうしたら、かっこいい。

それは参考になれども、実際かなえてみれば、微妙にフィットしないことのほうが多い。乏しいモデルしかないなら、もっともっとたくさんの人をみて、よりフィットするモデルを見つけることも大事。だけど、その上で必ず自分自身の軸に聴いてみること。

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わたし自身も、今まで実験しながら人生を歩み、壁にぶちあたるたびに軌道修正したり、違和感が出れば「ああこれはこっちの方向じゃないんだな。じゃあ、どの方向がしっくりくるんだろう?」と試行錯誤してきた。方向性を考えて、行動する。違うなら柔軟に変化する。そこから、自分なりの不思議なスタイルが編み出されていっているように感じる。自分にとっての幸せは、他人の指標には当てはまらない。別に正しくなんかないけど、後悔は少ない。

田舎・都会どちらの友人たちも、自分のスタイルを生み出した人はいい笑顔で生きてる。それを見るとすごくほっとする。彼らは、今を犠牲にはしていない。正しさやテンプレで、自分を犠牲にもしていない。今は今で満ちていて、さらにこうなったら面白いからやってみる。大きな視野での目標を持っていて、焦燥感は感じさせないけど、しっかりと歩んでる。

 

◾️できれば、人生という大きな道の中で遠回りしたくない。

だから、環境からも精神面からも、両面でアプローチしたい。自分にとって理想の環境をデザインし、でもどんな環境にも振り回されない心を持ちたい。

自分の成功、幸せってなんなのか?
環境としてはどんな状態で、心はどんな状態でいたいのか?
そのためには、どうしたらいいのか?

時々、しっかりと考えてみること、大事にしたいですね。