人にはそれぞれ異なる性質があります。
地域活動においても「風の人、水の人、土の人・・・」などといわれることがありますね。
これを地域の多層的な人々として思い描いてみると・・・・
■風の性質の人
地域の外から理想をふくんで風を運んでくる。珍しいもの、情報、人、意識などを運んで来て、外へも発信する。地域内の動かないぴたっと止まった空気を動かすもとになる。
■土の性質の人
地域を支え、地に足をつけてコツコツと耕し、生命を生み出して育んでいくような土台的存在。
■光の性質の人
地域に埋もれているたからものに光をあてるメディア的な存在。地道に中で研究し、外へと紹介、情報を発信していく。
■水の性質の人
ささいなアイデアを面白がり、損得や利益のためではなくイベントや活動などに関わり、動きのきっかけを作る人。
色んな解釈があるようですが、とにかくそれぞれ全く性質が違うんですね~。
性質が違うからといってお互いを疎まないことが大事
この性質の違いを原因に、地域でも人を責めたり、遠ざけたり、排他したり・・・ということが起こる場合も。それは見えない部分で地域活性化の足かせになります。
例えば、じっくり根をおろす土の性質の人からすれば、さらりとした風の人は「軽い」ように思える。
反対に、風の人からすれば、土の人の腰の重さにイライラする。
毎日実生活をこつこつ耕している土の人からすれば、メディア的な光の性質ものは実体がないように思える。反対に、光の性質の人からすれば、情報発信がなければ、現代においては地域自体の存続が危うくなると思える。
たまにやってくる都会からの人を軽くみたり、反対に地域でじっとしている人を軽くみたり・・・
「あの人は外ばっかり見て地域に根ざしてない」⇔「あの人は地域の中にしか視点がない」と批判しあう。
そうやって、お互いを認めずにすれ違ってしまう。
それってすごくもったいないこと。
自分は自分で自分の性質を全開に生かしてやるべきことをやる。
そして、人は人の性質を全開に生かしてやるべきことをやっている。
自分が出来ないことを人はやってくれている。
人が出来ないことを自分はやっている。
嫌いな人と我慢してべたべたし、消耗することもありません。
だけれど、攻撃するでもなく悪いうわさをふれまわるでもなく、
遠巻きながらでも人のやっていることを応援する目で見る。
いい距離感を持ちながら少しでも生かしあえる関係をつくる。
ちょっとしたことですが、それが出来れば、地域は足を引っ張り合う場ではなく発展する場に変化するのではないか?と思います。
多層的な人材がいること。
これは人を疎んじる材料にもなれば、可能性を産む材料にもなります。
違う性質のものが交わると、自分が持っていない良さを学ぶこともできるし、それぞれの性質を出し合ってコラボもできます。
例えば、伝統工芸の職人さんが高品質のものを作る×めちゃくちゃ商売のうまい人が営業して利益を出せる=伝統のもの作りが続いていく。そんな結果を生むように・・・
自分と違う性質、やり方をうまくからみあわせることで、今までなかった地域の発展可能性が見えてくる。
だから、一つの性質や一つのメソッドから見た「正しさ」に縛られないほうがいい。
内とも外ともオープンにつながって地域を形成しているほうがいい。
大切なことは、
■どちらかの性質の人を排他するでもなく、お互いに力を生かしあえるようコラボする。(直接的でなく広い意味でお互いに認め合うこともふくむ)
■地域内だけのとじられたコミュニティを作るだけではなく、
オープンにひらかれた都会からの関係人口もいれたコミュニティを形成する。
色んな性質の人が多層的に重なり合って、新しい地域の文化を作る。
これが、これからの地域がうまく機能するかどうかのポイントだと感じます。