■移住者にはなぜ「昔の知恵」好きが多いんだろう?
移住者の中には、昔ながらの知恵や文化が好きな方が多い。私もその一人で、8年前高知の山奥に移住してからはおばあちゃん達に干し柿の作り方や、ワラのない方、稲の植え方など習ってきました。大切だけど、もうなくなりそうな文化。この間も関東からの移住者友人に会ったときにこんな会話が。
こんな風に、若者が「昔の知恵はすばらしい」「引き継いでゆきたい」と言うと、特に親世代の中には「昔に戻りたいの?どれだけ大変か分かってるの」「昔の貧困な時代を知らないからそんなことできるんだ」と言う方も。
そう思っても仕方がないな~。親世代にすれば「こんな村がいや、こんな貧乏なのはいや、こんな生活はいや」と思い都会に出て近代的な暮らしを築いた人もいるから。それだけ大変だったんだと思います。
だけど、私達は単に「昔の暮らしに戻ったらいい」と思っているんじゃないんですよね。
「過去と未来を大切につなげていきたい」のです。
今までこの土地で紡がれてきた、暮らしの大切な知恵や文化を大切にしたい。
・・・かといってそれにしばられず、次の時代に添う形に変化させていきたい。
つまり、古いものの中で大切にするべきものは大切にし、
次の時代に必要な新しいものは生み出していきたいと願っている。
それは、田舎性と都会性をもつなげていく生き方になるのでしょう。
田舎の人・都会の人
若者・高齢者
過去・未来
新しいもの・古いもの
リアル・バーチャル・・・
それらの一見正反するかのようなものがうまく混ざり合い第3の道を作ること。
そこから「色んな人たちが関わりながら展開し、未来が開けていくような地域」が生まれていくような気がするのです。
■日本人の「自然」「社会」のとらえ方は、欧米とは全く違う!
本「内山節のローカリズム原論~新しい共同体をデザインする~」より
最近出会った山の哲学者・内山節さんの本。とても面白い文章があったので、ここでご紹介。
■内山さんは以下の文の前提として「いま、私達が使っている言葉には、明治になって外来語が入ってきたときにつくられた言葉が多くあります。「社会」も「自然」も翻訳後です。もともとの日本語にはこういう言葉がありませんでした」とおっしゃられた上で、日本と欧米の「社会」「自然」についてのとらえ方の違いについて語られています。
~以下引用・抜粋~
「欧米では社会と言うときは人間だけの社会を意味しますが、日本の社会やコミュニティは自然と人間によって構成されているというのが伝統的な考え方です。」
「日本で使われてきたもともとの言葉は「自然(じねん)」「おのずからしかり」で、人も含めた概念としてとらえられていました。西洋の「自然(しぜん)」は、人と区別する言葉、対立する概念としてつくられてきた歴史がある」
「たとえば社会という言葉を考えてみると、欧米語でしたら「生きている人間の社会」の意味ですが、これが日本語として使われると日本の伝統的な社会観が入ってきています。
つまり「自然と人間の社会」であり、「生者と死者が入っている社会」です。」「死者というのは遠くへ言った存在ではなく、この社会にとどまってわれわれとともにいる。ですからお盆のときにはご先祖様が返ってくるとか、頻繁に墓に参ってご先祖様に挨拶に行くとか、そういう習慣が今でも残っている。日常の言葉の中にも「そんなことをすればご先祖様が怒る」というように、あくまでこの社会のなかで死者がわれわれを守っているという社会観をつくってきました。つまり自然と死者が入ってくるのが日本の社会でありコミュニティです。」
(以上・出典「内山節のローカリズム原論~新しい共同体をデザインする~」より抜粋)
■日本人は「何かと対立したり分断」するよ
り「異質なものが交じり合って統合・発展していく」方がしっくりくるんじゃない?
上記のような日本人独特のとらえ方からは、自分と違うものを分断したり対立したりせずに統合していくような世界観を感じます。
死者と生者が交じっているという感覚からは、過去と今が交じっている世界観を。
自然と人も分離することなく、溶け合って境界線がない感覚を。
私が感じたのは、そんな世界観だからこそ「正・反・合」的な発展可能性ができるんじゃないか?ということ。
違うものと違うものが出会ったとき、分断せず攻撃せず→統合、進化、止揚されていく。
「正反合」を繰り返しながら、らせん的に少しずつ少しずつ発展していく。
こんなスタイルで交じり合い「今までに感謝しながら・踏まえて乗り越え・次の時代を生み出していく」ようなあり方ができるんじゃないか?
もしかしたら、今地方に向かう若者は、直感的にそれができる可能性を「地方」というフィールドに見出しているのかもしれないなあと思うのです。
「自分達の理想の桃源郷を、その土地に持ち込んで完成させる」
→「その土地の人たちに感謝と敬意を持ちながら展開していく」かたちへ
かつては、田舎暮らしがしたい人=定年退職した人か、農業がしたい人。ヒッピーとか仙人系が多かったんですよね。
だけど最近、自分が暮らす地域や全国の地方を見ても、その流れは変わったように感じます。
いわゆる一般的な「フツー」タイプの人が田舎や地域に移住してくるようになってきたんです。
例えば都会でバリバリ働いていて何か地域にも貢献したいと思った人、都会でサラリーマンをしていたが、ライフスタイルの質をあげるべく家族で移住してきた人など。
それぞれフツーに、田舎の小さな企業に就職したりして、フツーに暮らしてらっしゃいます。
そして違和感なく地域の人とも溶け込んでいく人が多い印象。
そんなことからも異質なものが対立分断するのではなく「今までの文化を継承しつつも、ふまえて乗り越え、これからの文化を生み出していく」ということが、より起こりやすくなるような気がします。
これからは、「自分達の理想の桃源郷を、その土地に持ち込んで完成させる」のではなく「その土地の人たちに感謝と敬意を持ちながらも、次の村の文化を展開していく」ようなありかたを作っていけるのではないかと思うのです。
■田舎のやり方に全部あわせるでもなく、都会のやり方に全部あわせるでもなく。お互いにクリエイティブする新しい道。
ポイントは、次の世代に引き継ぎたいと思える地域作り。
都会からやってきた移住者が村に入ったからと言って、「今までのしきたり、やり方、考え方に全てを合わせなさい」と押し付けるのは何かが違う。
古すぎて今にフィットしない仕組みは引き継いでも皆苦しむ。
しんどいものを子や孫に抱えさせたくない。
できるだけ下の世代にしわよせを与えたくない。
それが「出て行きたい」と思う息苦しさの原因に。
だから、吟味や検討、仕組みのリメイクは必要。
・・・かと言って、都会的な文脈を田舎にあてはめて「これがいいから、この考え方、やり方に全て合わせて」と当てはめるのも、何かが違う。
どちらかがどちらかにあわせるのではなく、移住者と地元の人、過去と未来がかけ合わさってできる形。新しい文化をクリエイティブしていけるような状態を作り出したいなあと感じます。
まだまだうまく出来ず、試行錯誤もたくさんあるけれど。
出て行きたい地域ではなく、ここにいたら楽しい地域。ここに来れば楽しい地域に。
それを次の世代に手渡したい。
継承というのは守りつづけることだけでなく「次の時代のあり方もあわせて作ること」もセット。
大切にすること+クリエイティブすること。
そこから「ふまえて、乗り越えた新しい継承の形」が生まれだしていくのだと思います。
■今回引用した山の哲学者・内山節さんの本はこちら↓
1970年代~東京⇔上野村の往復生活を続けている。上野村では畑を耕し、森を歩きながら暮らしている。
■地域創生はインフラ整備より「しきたりのリメイク」を。
■「地方創生」ぼやっとした無力感。諦めない、抱え込まない「個人の活性化」がつながった新しい地域コミュニティの形。
■空き家を貸したくないパターン4。放置空家税制優遇廃止、本気でどうする?
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■私、ヒビノケイコの著書。高知の山奥で暮らしながら新しい時代のあり方を創造中。
山カフェ日記~30代、移住8年。人生は自分でデザインする~ [コミック]
■全国での講演(移住支援、地域活性化、キャリア授業など大学生、社会人向け)執筆、講演など(3万~+交通費=費用はご相談に乗れます)お仕事依頼はこちらまで→info@pocchiri.com