この間、総務省主催の山口県で行われた「全国過疎問題シンポジウム」で、発言した内容。
全体テーマは「若者移住」で、参加されているのは、総務省の方、国や地方の議員さん、地域行政の方々、移住支援や地域で活動されている方々などが主。
当日、聞いてくださった方から「先日のパネルディスカッション、その場にいられて本当に良かったです。過疎地域だけのことでなく、移住者と若者に限ったことではなく、ヒビノさんの言葉にたくさんの共感できる点を見つけることができて、うんうんと頷いていました。ありがとうございました」
「とても良かったのでまとめて書いておいたほうがいい」など反響をいただいたので、書き起こしし、少し補足をいれつつまとめました。
これからの全国での地域でも課題になることを乗り越えて行くために、行政、国、支援側の方々に、なにかしら役立てていただけたらと思い共有します。
一人の住み手として、お話ししたこと
私が住んでいるのは高知県れいほく地方、四国のおへそと呼ばれているところです。
もともと大阪出身で、移住して12年目になります。
ここは夫の地元で、大学を卒業して結婚し、子供を妊娠し育てる段階になったときに、どこで子育てしたいかな?と考えて決めました。
全国いろんなところを回ったのですが、結局ここの山や風景がすごく好きで、移り住みました。当時、24歳だったので、今日のテーマの「若者移住」といえば、そうだったのかなと思います。
わたしが住んでいる家は100年の古民家。隣にあるのは、アトリエです。ふだんは四季の暮らしを楽しみながら暮らしているんですが、まあ、いろんなことがあるので忙しいですね。
現在のわたしの仕事は、毎月、東京や京都でライフキャリア作りやオリジナルコンテンツ作りなどの講座を開催すること。キャリアコンサルタントでもあるので、ライフキャリアに関するアドバイスもしています。ネットを使ってオンラインでも、仕事をしています。
わたしたちが移り住んだ頃、ちょうど地域で移住支援がはじまりました。
移住者たちがボランティアで相談にのるようになり、現在は、移住支援NPOれいほく田舎暮らしネットワークという団体が、4町村広域で、移住者による移住支援をしています。
毎年平均、人口約12000人のれいほく地域に、約60組、94名の方が移住されています。
最近は、国内外からの移住も増え、その流れの上で、海外で教育関係のお仕事をされていた方が学びの場のNPOを開いたり、ハンガリーから世界選手権の王者が移住されてカヌーアカデミーを開いたり・・・こういった目立った動きもありますが、実際の移住者の仕事は、もともとある既存の仕事につく場合が大半です。
もうひとつは、カフェやパンやさん、レストラン、ゲストハウス・・・あとは、自伐林家さんなど。
また、わたしのようにネットを使いながら、たまに東京に行ったり、時間と場所が自由にできる仕事をされている方もちらほらいらっしゃいます。あとは、不動産関係など。
もうひとつは、クリエイター関係や職人さんです。デザイナーさんや画家、アクセサリー作家さん、うるし作家さんなどもいらっしゃいます。
こんな感じで、12年ほど移住支援の動きがあり、ある程度、全国で見ても移住先進地と呼ばれるような場所で暮らしていますが、その中で最近実感していることを、課題も含めてお話ししたいと思います。
この課題は、これから全国で移住が進むにつれ課題となっていくことだと考えられますので、事前に知って対策を取っておくことで、みなさんの地域でも、よりよく乗り越えやすくなることがあるかと思います。
3つの課題。若い世代の自律的なライフキャリア作り
話したい課題は、全部で3つです。
一つ目は、若い移住者のライフキャリア 作りについて。
移住するとき、直近の仕事について、みなさんとりあえず決められることは多いのですが、田舎は産業が少ないこともあり、一年契約だったり、不安定な職が大多数です。
また、個人事業を始められる方もいらっしゃいますが、それが必ずしもうまくいくわけではありません。
紆余曲折あるなかで、若い方は、長い人生をそこで暮らしていくことになります。
定年された方とは違って、人生が長いです。
彼らが、20代、30代、40代と仕事をするうちに、「もっと成長したい、自分を高めていきたい、キャリアアップしていきたい」と思った時、「田舎ではなかなかその環境がない。どうしたらいいんだろう?」と思うことが出てきます。
個人事業主だったとしても、東京にいる時に比べてずいぶん収入が減った場合、子供が大きくなってくると学費がかかるので、大学とか行かせようと思ったときに、やっぱりちょっと厳しい。
好きな場所だけど、泣く泣く離れる、という方もおられます。
特に、若者が、田舎に移住するときに、「子育て、自然、あたたかい人のつながりを求めて」という理由が多いのですが、実際の話でいうと、働き盛りの年齢には、子育てに加えて、地域活動や集落での活動が何重にも加わってきます。
地元の方は、もともと大家族がいるので、例えば、「おじいちゃんが会に出てくれて若いものは働く」ということでカバーされている場合もあるのですが、若者が核家族で入ってきた場合は、カバーできる人員がいない。
そうすると、田舎で家族との時間を増やそうと思っていたけれど、お父さんは夜、地域の会でいない・・・というようなことが起こります。
ゆったりした田舎暮らしとは対極のものになったりします。
また、若者が経済的な自立をしようとしている時期には、やっぱりそれなりにエネルギーを仕事にかけないと、起動に乗っていきませんよね。
今は、仕事にエネルギーと時間を注ぎたいんだけど、あっちもこっちもということになって、家庭もうまくいかなくなったり、仕事や地域とうまくいかなかったり、中途半端な事態が起こります。
つまり、いまの変化の激しい社会の中で、本来、自律的なキャリアを作っていかなければ生き残っていけない状況にいながら、それがしづらい・・・という悩みに陥るんですね。
そのためには地域として、若者の自律的なキャリア作りがしやすい「環境を担保すること」が必要になってきます。特に、子育て支援対策や女性も働きやすい環境づくりは、重要だと思います。例えば、豊後高田市のように。
そういうふうに、行政単位で働きやすく暮らしやすい、無理のない仕組み・環境づくりをしていくこと。
もともとおられる地域の方も、移住者も利用できる仕組みであればとても良いですよね。
あと、起業支援はよくあるんですけど、起業自体は、誰でも簡単にできるんです。
実際は、それを長年継続していくことが、すごく難しいんですね。
今は人生100年時代といわれています。
その中で、若者自身もそれを把握して、主体的にそのような機会を模索すること。もしできるなら、環境を整える側として、起業支援だけに偏るのではなく、学びの機会、コンサルティング、メンター、キャリア相談などを整えたり、定期的に触れられる機会をつくることは大事なんじゃないかなと思います。
人間関係のトラブル。メディアの過剰表現、古い仕組みの更新
もうひとつは、人間関係のトラブルです。
若い方の中でも、地域にうまく溶け込んでいるパターンと、そうじゃないパターンがあります。
メディアでは「田舎=あったかくて親切な夢の場所」というような持ち上げ方をする場合と、反対に「田舎=闇のるつぼ」という感じで、極端な例に切り取られることが結構あると思うんです。
それがすごく、若い方々の認識のギャップを生んでいるのではないかなとわたしは思っています。
思い込んだイメージと、実際の暮らしにギャップがあったときに、「手のひら返された」という気分になって、地域から離れ、その後悪い風評を流すということもありえます。
事実としては、地域って、ただの「場所」です。
「何かをもらえる場所」ではなく、「救ってくれる場所」でもない。
そのことを理解した上で、その場所を選んだ場合は、その上で自分はどのように生きていくか?考えて行動していくことが、移住希望者にとっては大事だと思います。
都会でも田舎でもいいひともそうでない人もいるし、いいところもあれば、悪いところもある。
特に、現代までのプロセスで、都会も田舎も偏った人口・産業構造になっているため、都会であれば「分断に偏っていて何か物足りない」ということが出て来るし、田舎では「濃すぎる人間関係とムラ意識で息がつまる」・・・という風に、どちらもバランスは悪いところはあるのです。
なので、過剰な売り込みやアピールをしないで、「いいところや特性もあるし、わるいところや足りないところもある」
そういうことを両面から、適切な表現で伝えていくことが、重要だと思います。
あと、田舎の文化や性質上、お金では回っていない相互扶助関係がありますが、これは、「もらったら返す」「親切はおたがいさま」という感覚が、村の中で「当たり前」という概念になっているかと思います。
ですが、若者のなかには「自己主張はして、もらえるものはもらうけど、返さないのが普通」っていう価値観の人も、いらっしゃいます。
いいか悪いかは置いておいて、ある意味、文化背景の違い、価値観のギャップがある。
そういった違いを、お互いに知っていることは、とても大切なことだと思います。
普段の暮らしの中で、そういう違いがあらわになったときに、例えば「地元の方が好意でしたことなのに、それを何気に踏みにじるようなことをしてトラブルになる」というケースも出ていますし、反対に、「地域の人がしたことがお節介、プライバシーに侵入しすぎと感じられてトラブルが起こる」こともあります。
また、「フリーライドする人間が得する」という感覚になると、地元の方の受け入れる気持ちがなくなっていったり、反発に変わることもあります。
そして、フリーライドとは反対に、移住者やUターン者のなかでも、地元の活動を一生懸命しようと思って、一心に担ってしまう人もいるんですね。
高齢化で人口が少なくなっている中、若い一人の人の肩に、過剰に、数多くの役がかぶさっていきます。そういう方々は、やらない方との差に「なんの得もない」「消費されてる」という感覚になることもあって、しんどくなっていく。
そのへんの、集落や地域活動の中の役回りの更新。
仕組みの更新が、今の時代には必要だと思います。
また、地域側が「この土地が、どんな価値観や何を大切にしている地域であって、だからこそ、そこにどんな人が来て欲しいのか?」を、具体的に考え、しっかりと打ち出していくことは、希望者とのマッチングが合うためにも大事なことだと思います。
移住支援者の負担。若者の地域疲れ
3つめは、そういう地域と移住者のあいだにはさまれている移住支援者の負担が、全国的なレベルで大きくなっています。全国的に、メンタル不調や、過労などが増えていると聞きます。
移住は、商品と違って、買ったら終わりではありません。
結婚のように、結婚式をして生活がはじまってからが、スタートなんです。
予算にしろ、労力にしろ、移住者を呼び込むこと、広告や宣伝などに多くが割かれています。
それも大切かもしれませんが、都会と田舎という文化背景、価値観や生活様式がまったく違う人たちが、同じ場所で暮らすということを考えると、実際は入ってからのフォローや対処に、相当の労力がいるんですね。
でも、そこは数値的なものが出にくく、評価されないので、予算が下りづらい。
これでは、本末転倒になる。現場の人たちの疲弊を招く原因になるのでは?と思います。
自分自身も住民のひとりである多重関係の中で、支援者が、移住者のすべての分野の悩みや問題を一手にひきうけ、サポートしていくのは、基本的に難しいことです。
「どこからどこまで」という範囲の中で、移住支援を行い、専門的な部分は専門家と分業する。
移住した人も、もともといる人も、みんな暮らすようになった後は、同じ「住民」です。それぞれが住民の一人として、自分ができることを考え、お互いにサポートしあっていくことも、必要でしょう。
つまり、全国的な移住政策は手探りで続けられて来ましたが、もうそろそろ、移住支援の方だけでそれをするのではなく、行政、雇用、社協、精神福祉、教育などの多層的な支援の仕組みづくりが必要な段階にきているということです。
そして、なによりも大事なのは、そうやって今まで地域のことを思い、活動や仕事を担ってきている若者が、すでに地域にいるということに目を向けることです。
これが、今の全国的な「地域疲れ」・・・「最初はやる気があって、キラキラした目をしていたのに、10年経ったら魚のような死んだ目になり、何をしても無駄というふうになってしまった」というような多くの事例を軽減していくことにつながります。
そういう方々の好意に甘えすぎないこと。
その人たちが生きやすい環境、仕組み、インフラなどを整えることに尽力し、「つぶさず、消費せず、大切にしていく」こと。
いい場所には、いい人が集まります。
いい場所であるためには、まず、そこで生きている人が幸せであること、これが、何より大事なことです。
最後に。移住のゴールは
最後に、「若者の移住は、地域の人口を増やすために」ということが国や県目線では言われがちです。マクロで見るとそれもわかります。
ですが、それをミクロに当てはめすぎた場合、「急激な数値の上昇を求める」というような評価基準、傾向に偏ってしまい、結果として、急激に移住者を入れすぎて地域から反発をくらい地域が分断されていくこともあります。1パーセント戦略という話もあったように(1パーセントでもかなりな数字ですが)徐々に、微増で良いのではないかと思います。
要するに、数よりも、質がともなっているのか。
目に見えない部分で、長いスパンでみたときに、これが重要になってくると思います。
移住のゴールは、移住してもらうこと自体ではなく、その先に、未来がみえること。
暮らしていくこと。
いかに、移住者も、地元の人も、移住支援者も良い人生をつくっていくことができるか。
その観点が、移住者だけでなく、これからの「若者が住みやすいまち」を作ることに繋がるんじゃないかなって、今、わたしは思います。